栗東市議会議員 田村たかみつのホームページです。(滋賀県栗東市)

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東日本大震災関連ニュース(栗東市関連)

2012年3月9日(金)毎日新聞
3・11震災1年:栗東で出産、永住決意 埼玉から避難、岸田さん一家「滋賀は温かい」
 東日本大震災に伴う福島第1原発事故を受け、第2子の出産を控えた30代夫妻が放射線被害を恐れ、埼玉県から栗東市内に避難している。昨秋には男の子が無事生まれ、4人に増えた家族は「滋賀は温かい。ここで生きていこう」と、この地を新天地に生きていくことを決意した。
 「湖西線が発車しまーす」。電車のおもちゃで遊ぶ長男結人(ゆいと)ちゃん(4)を見守る岸田知之さん(37)と妻明子さん(37)。生後5カ月の次男智星(ちせい)ちゃんは、最近覚えた寝返りを打とうと小さな体を揺らす。昨年7月、埼玉県川口市から栗東市内の空き家に移り住んだ一家は幸せそうだ。
 昨年3月11日。地震で交通網が寸断され、身重の明子さんは勤め先の東京の小学校から2時間かけ、歩いて帰宅した。しばらく寝込み、日々深刻化する福島の原発事故報道に不安が増した。「子供が生まれると身動きがとれない。とりあえず埼玉を離れよう」。避難先を探し、7月に栗東市で予定された原発問題を考えるイベントに、空き家を提供している会社社長が参加すると知った。
 イベントで社長と会い、部屋を見せてもらうと「狭い部屋だけどよければどうぞ」と、その場で鍵を渡してくれた。その温かさに触れ「ここで出産しよう」と決意。当日から明子さんと結人ちゃんが入居し、知之さんは9月に引っ越し。間もなく待望の赤ちゃんが生まれた。
 夫妻とも「滋賀の人は温かい」と口をそろえる。電車内で子供に気さくに話しかけてくれる人、喫茶店で初めて会ったのに、事情を知って家に招待してくれる人。首都圏では希薄だった人のつながりを実感し、少しずつ滋賀の地で暮らす気持ちが固まった。
 地元に心残りがないわけではない。知之さんは実家の喫茶店に母を残し、明子さんも教え子を残しての避難に今でも悩む。それでも「いつか滋賀で、私たちのような避難者を受け入れる活動ができたら」と明子さん。知之さんも実家と同じ喫茶店を開く、新しい夢を描いている。
2012年03月12日(月)朝日新聞
原発事故さえなければ
【ふるさと遠く離れ/安住の地求めて1】
 栗東市十里にある市営住宅の一室に、幼子の元気な声が響く。蓬田(よもぎ・た)仁志さん(37)は、妻由貴子さん(31)と長男仁威矢(に・い・や)君(1)を連れて昨年10月、福島県桑折(こ・おり)町から栗東市に避難してきた。今年1月には次男将磨(しょう・ま)君も生まれ、家族4人の生活は、落ち着きつつある。縁もゆかりもない栗東市へなぜ避難したのか。「とにかく、原発から離れた場所へ、家族を連れて行きたかった」と、蓬田さんは振り返った。
 2011年3月11日。あの日、蓬田さんは東京電力福島第一原発から約10キロの福島県浪江町にいた。当時はアパレル会社で営業を担当し、同町にある得意先をまわって帰ろうとした矢先、突然、大きな揺れに襲われた。
 「早く帰らないと」。すぐに車を走らせたが、道路は寸断されていた。海沿いの国道6号を北上して南相馬市に入ると、沖合から押し寄せる津波が見えた。山道を抜け、5時間以上かけて自宅に戻った。翌12日午後、同原発1号機で水素爆発が起き、大量の放射性物質が放出された。
 福島市に隣接する桑折町は原発から北西へ約60キロに位置する。避難指示は出なかったが、毎日発表される放射線の数値におびえ、仁威矢君を外で遊ばせることもできなかった。4月には由貴子さんの妊娠もわかった。「もし、子どもたちががんになったら」。滋賀県が避難者を受け入れていると聞き、震災から7カ月後、蓬田さんは会社を辞めて一家で避難した。
 「じいちゃんばあちゃんたちには気の毒だったかな」。蓬田さん夫婦は、それぞれの両親をはじめ、多くの親族を福島に残したままでいる。今年3月初め、避難後初めて帰郷し、すっかりやんちゃになった仁威矢君、生まれたばかりの将磨君の顔を見せた。
 放射能の心配をしなくて良くなったが、滋賀ではまだ知り合いも少ない。妊娠中、由貴子さんはふさぎ込むことが多かったが、最近、県内避難者の会を通じて「ママ友」もでき始めた。それでも震災が、原発事故がなければ、との思いは消えない。「だって、好きでふるさとを出たわけじゃないんですから」。将磨君をあやしながら、由貴子さんはそうつぶやいた。
 長男が住む、湖南市に身を寄せた無職の男性(79)の自宅は、福島第二原発がある富岡町にある。事故を起こした第一原発から半径20キロ圏の警戒区域内にあり、今も立ち入りが制限されている。
 これまで3度、防護服を着て一時帰宅した。「町の中はしーんとして、ゴーストタウンのようだった」。妻(71)と一緒に家に入ると、室内は物が散乱し、足の踏み場もなかった。片付ける間もなく、持たされたポリ袋1枚に必要なものを詰め、家を後にした。
 男性は被災後、頭に浮かんだ言葉をつづっている。
 「永住か 帰る帰らぬ」
 このまま滋賀に住み続けるべきか、夫婦で悩んでいた時、長男から「ずっと住めばいいじゃないか」と言われ、覚悟を決めた。「寂しくないと言えばうそになるが、どうしようもないのも現実」。2、3日で終わるだろうと思っていた避難生活は、丸1年になった。
 2万人近い死者・行方不明者を出した東日本大震災から1年。未曽有の津波がもたらした福島第一原発の事故により、6万3千人が福島県外で避難生活を送り、このうち滋賀県内への避難者は250人を数える。郡山市から家族で避難した大学生の女性(19)は問いかける。「私のふるさとはどこ? 福島でいいんだよね?」。安住の地を求める県内避難者の1年をたどった。
2012年03月13日(火)朝日新聞
厳しさ、滋賀も福島も
【避難者に就職の壁/安住の地求めて2】
 福島県須賀川市から避難した中国出身の志賀宥紀(ゆう・き)さん(39)は、栗東市の市営住宅で息子2人と暮らす。福島第一原発から放出された放射性物質の影響を恐れ、約500キロ離れた滋賀県に身を寄せた。ようやく平穏な生活を取り戻しつつあった2月初め、訪れた市職員に、入居から1年となる3月21日までに退居するよう求められ、目の前が真っ暗になった。
 東日本大震災と原発事故を受け、栗東市は昨年3月、避難者の受け入れのため、1年以内の退居を条件に市営住宅の無償提供を決めた。県内の多くの自治体が期限延長を決めるなか、同市は当初の方針通り、避難者6世帯に対し、期限内での退居を要請。志賀さんもその対象となった。
 大津市内にある県営住宅への転居も考えたが、引っ越し費用がかかるうえ、中学3年の長男(15)は高校受験を控えていた。困り切っていたところ、2月24日、市は一転して1年間の期限延長を決め、志賀さんは胸をなで下ろした。
 だが、1年後には無償提供の期間も終わる。スーパーのパートのみでは生活は苦しく、志賀さんは就職先を見つけようとハローワークに通った。
 1月、栗東市の済生会滋賀県病院など県内3病院が医療通訳を募集していることを知った。「避難してから、本当に多くの人にお世話になった」。恩返しのつもりで、中国語通訳の募集に手を上げ、2月から週1回、医療の専門用語などを訳すための研修を受けた。3月2日に採用が決まったものの、勤務は週1日程度。時給制で収入は少なく、「生活基盤を整えるためにも、フルタイムの仕事を探している」と話す。
 8日現在、県内には福島県を中心に151世帯389人の避難者がいる。このうち37世帯は県や市町が提供した公営住宅で暮らす。原発事故の影響が長引くなか、避難生活の長期化に伴い、就職先を求める避難者は多い。
 滋賀労働局によると、のべ112人の避難者が求職の登録をしたが、就職先が決まったのはわずか22人。被災者専用の求人は2月29日までに79件198人分があったが、多くは比較的給与水準の低い工場勤務などで、帰郷を望む避難者側も短期の仕事を求める傾向にあり、担当者は「求人、求職双方のニーズが合わず、ミスマッチが生じている」と分析する。
 昨年11月に福島市から大津市に避難した小泉俊輔さん(29)は、4月から東近江市の染料会社で正社員として働くことが決まった。ただ、月収は、プラスチック加工会社に勤務していた福島時代と比べ、10万円近く減る。東近江市への引っ越し費用など、出費がかさむが、「ぜいたくは言えない。何とかなるでしょう」と自分に言い聞かせるように話した。
 福島第一原発から20~30キロ圏にある南相馬市から大津市に避難した女性(28)は、勤めていた会社から「いつでも戻ってきて」と言われた。言葉はうれしかったが、放射能のことを考えると戻れない。揺れる思いのなか、滋賀での就職活動に踏み切れないでいる。
 一方で、福島県の雇用は依然厳しい状況にあるという。福島労働局によると1月の有効求人倍率は0・74倍で全国平均並みだが、建設業や警備、派遣会社など震災復旧に伴う求人に偏っているという。滋賀に住み続けるか、それとも故郷に戻るのか。雇用面でも被災者は難しい選択を迫られている。
2011年5月24日(火)朝日新聞
大震災 大槌町に4市リレー派遣 草津、守山、栗東、野洲 福祉職員ら2人ずつ
 東日本大震災の大津波で役場が壊滅し、町長や多くの職員が亡くなった岩手県大槌町を支援しようと、草津、守山、栗東、野洲の4市が6月1日から、職員2人ずつをリレー方式で同町に派遣する、と23日、発表した。障害者福祉や子育て施策に詳しい職員らが常時2人ずつ、来年3月末まで同町の業務に携わる。
 岩手県遠野市に4月下旬に派遣された守山市の職員が「大槌町が支援の手を必要としている」と聞き、同町でも約1か月間、活動。その後、宮本和宏・守山市長が同町を訪れた際、東梅政昭・副町長から「障害者福祉などに携わる職員が足りない」と直訴された。
 4市長の懇談会で「長期支援に共同で取り組む」と合意しており、障害者福祉や育児施策に詳しい職員の派遣を決めた。職員2人が2か月半程度で交代しながら、障害者年金や子ども手当などの受給に関する業務などを引き受ける。
2011年4月22日(金)朝日新聞
原発マネーにすがった人生「間違った」 避難者夫婦
 東日本大震災で被災し、危機的な状況が続く東京電力福島第一原発の地元、福島県大熊町から夫婦で栗東市に避難した高屋計(こうや・かずえ)さん(80)は、事故現場から3キロほどの場所にある自宅の現状に思いをはせては途方に暮れている。原発で潤った町で築いた財産をそのまま置いてきてしまった。「原発で良い思いもしたが、その原発のおかげで悲哀を味わっている」と悔やむ日々だ。
 原発から約40キロ離れた旧鹿島町(現・南相馬市)の出身。原発建設を控えて活気づく大熊町の様子を見て「ひと山あてよう」と決心。家業の材木店を親類に任せ、1967年に同町で建設会社を構えた。71年に原発の運転が始まると町は豊かな税収や交付金で潤い、ヒトとカネが集まった。住宅需要の高まりもあって事業は軌道に乗った。
 妻のサチ子さん(77)もすし店を開き、県外からの上客でにぎわった。ある日、客の東電関係者に「放射能は大丈夫か」と尋ねたところ、「危なかったら、こんな仕事はしない」と言われた。
 その後、会社を手放し、すし店も娘夫婦が継いだが、自宅とは別に所有する一戸建て20棟を貸し出し、賃料収入だけで十分暮らせた。パチンコや旅行を楽しむ悠々自適の老後も3月11日に一変した。
 自宅居間で大きな揺れを感じ、計さんは仏壇を支えようとしたが、吹き飛ぶように倒れた。柱につかまり、揺れをしのぐのが精いっぱいだった。
 「役場に逃げてください」。町の防災無線のアナウンスが聞こえ、住民らは「原発が爆発する」と口々に言った。計さんは持病のぜんそくや心筋梗塞の薬が入ったバッグと仏壇の位牌を、サチ子さんは家の鍵や現金数万円が入ったバッグを持って避難した。
 役場から大型バスに乗せられ、数百人がごった返す同県田村市の体育館の避難所にたどり着いた。テレビでは、押し寄せる津波の映像が流され、計さんは「寒さからか、怖さからか、体が震えた」と言う。
 市内の別の避難所などに移った後、弟夫婦のいる栗東市に連絡を取り、滋賀行きを決めた。
 今月1日に入居した市営住宅は2DKで、二人暮らしには十分な広さだ。町発行の被災証明書を見せれば病院も無料で、計さんは「市や地元の人々の親切には頭が下がる思いだ」と話す。ただ、気がかりは自宅に残した家財一式だ。地元の警察に連絡しても、正確な情報は入ってこない。「金に走り、間違った人生になった」と後悔の念が募る。
 東電は原子炉の安定化まで6〜9カ月かかるとした工程表を発表したが、放射能で汚染された現地に本当に再び入れるのか、確信を持てないでいる。「生きているうちに帰れない覚悟もしている」と語った。
2011年3月20日(日) 中日新聞
燃料不足、必死の脱出 福島から2家族避難
 東日本大震災で被災した福島県相馬市の佐藤勝十志さん(50)ら2家族8人が19日、栗東市の市営住宅下戸山団地に避難した。18日夜から1日かけて車で栗東にたどり着いた佐藤さんは「知り合いを頼って逃げたくても、ガソリン不足で県外に出られない人は多いはず」と話し、深刻な燃料不足を訴えた。
 避難したのは佐藤さんの母(73)、妻(49)、長女(15)と、親類の男性会社員(19)、男性の母(40)と妹(15)、祖父(68)。2家族は親類で、栗東に住む佐藤さんの弟(48)を頼った。
 残されたガソリンはわずか。佐藤さんは長女だけは助けようと、ガソリンを節約するために妻と母を残してまず東京駅に13日に向かい、長女だけを新幹線に乗せて弟の自宅に向かわせた。「東京で燃料を補給できなければ、相馬に歩いてでも帰る覚悟だった」
 無事にガソリンを補給し相馬市に戻り、妻と母の3人で栗東市に向かった。15日に栗東に着いたものの、困っている男性の状況を聞き、再び車で相馬へ。その際、ガソリンの携行缶を滋賀県内で買おうとしたが、どこのスタンドも品切れ。弟の知り合いから集めてもらって18リットルの携行缶四つを確保し向かった。燃料を心配しながら、男性の家族と19日朝に栗東にたどり着いた。高速道路のパーキングエリアなどでは、福島ナンバーの車を見た人が「頑張ってください」と声を掛けてくれたり、食べ物を分けてくれた。
「心強かった」と目を潤ませ「あとは自分たちでがんばらなければ」と前を向いた。
 佐藤さんの自宅に津波の被害はなかったものの、「家は壁がひび割れ、余震があるたびに崩れた。怖くて生活できる状況ではなかった。水も食べ物も燃料もなかった」と言う。
2011年3月19日(土) 朝日新聞
被災者、県内にも次々避難 多くが福島から
 福島第一原発での事故をきっかけに、東北地方から県内に避難しようとする被災者が増えている。県によると、18日現在で11家族47人(13市分除く)を受け入れ、多くが福島県民という。高島市でも同県から避難してきた1家族3人を受け入れ、栗東市でも6家族の受け入れを決めた。草津市では無償提供する市営住宅5戸について、すでに5件の入居申し込みがあったという。
#show(OSK201104210175.jpg,aroundr,画像の説明) 近江八幡市には、福島県田村市の会社員渡辺大さん(32)が妊娠7カ月の妻と1〜3歳の3人の子どもを連れて車で避難し、市内の実家に身を寄せた。
 原発の爆発事故後、実父(54)から携帯に「こっちに来い。原発が大変だ」と連絡を受けて避難を決めたという。15日早朝に出発したが、妻の両親は「家を守る」と言って、同行しなかった。その後、新潟経由で滋賀県に到着したという。3カ月後には子どもが生まれる。なにより、仕事がないことが心配だ。「持ち出せたお金もほとんどない。粉ミルク代にも困っている」と話す。
2011年3月19日(土) 読売新聞
トラック荷台空きに支援物資積み込み
 被災地に向けて戻る大型トラックの協力で、守山、栗東、野洲の3市は18日、飲料水や毛布、トイレットペーパーなどの支援物資を福島市の災害対策本部に送った。
 守山市に営業所を置く岡田運輸(本社・川崎市)の大型トラック(14トン)で、「ふるさとの川整備事業認定自治体協議会」でともに加盟する福島市から要請を受けた3市が、同社に物資運搬を依頼した。
 大型トラックはこの日、岡山県から岩手県内の営業所に戻る途中で、守山市水保町の北部防災拠点備蓄倉庫に立ち寄った。3市の職員たちは水2000本や毛布200枚、トイレットペーパーなどの入った箱を次々と、トラックの荷台の空いた場所に積み込んだ。
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2011年3月18日(金) 京都新聞
増産急げ、工場フル操業 大震災で京滋拠点メーカー
 東日本大震災の影響で、滋賀県や京都府に工場を構えるメーカーが生産体制を強化している。被災地の需要急増で品薄になったり、被災による操業停止や計画停電で生産能力が落ちている東日本の工場の代替を担っているためで、需要に応えようとフル操業する工場も出てきた。
 日本瓦斯はカセットこんろ用ガスボンベの主力工場である滋賀工場(東近江市)で、15日からフル操業に入っている。地震前に秋冬の繁忙期を終え、1日8万本未満を生産していたが、地震後に注文が殺到した。24時間体制で20万本を生産し、ほとんどを被災地向けに出荷している。
 日清食品は「買い占めの影響もあって全国から注文が増えている」(広報部)といい、滋賀工場(栗東市)など国内3工場でカップ麺をフル生産。新製品の製造・販売も延期し、生産効率の高い主力製品の生産に力を入れている。
 被災地での医療用殺菌消毒剤の需要増に伴い、三洋化成工業は原料となる界面活性剤の増産の検討に入った。愛知県や京都市内の工場で製造しており、消毒剤の原料調達のめどが付き次第、増産する。
 ヤクルト本社は、福島県と岩手県にある工場が地震で操業を停止したまま。ヤクルト原料液などを担当する京都工場(宇治市)を含め、全国の工場が増産体制に入っている。
 栗東市におにぎりや弁当などの製造工場を置くシノブフーズは、計画停電で千葉工場(千葉県八千代市)のフル稼働が難しい。愛知県と大阪府内の工場で生産量を増やし、首都圏へ陸路で出荷しているが、「増産依頼は日々増えている。首都圏に近い栗東市の工場での増産へ準備を進めている」(同社)。
 ジーエス・ユアサコーポレーショングループは、産業用小型鉛電池製造のジーエス茨城製作所(茨城県北茨城市)が地震で設備が損傷した上、停電や断水で操業を停止しており、「設備の損傷程度次第で京都などへの生産シフトも検討する」(広報室)という。
 アイリスオーヤマ(仙台市)も、物流網寸断で角田工場(宮城県角田市)から出荷できないといい、米原市内の工場でプラスチック製品の増産を検討している。

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