栗東市議会議員 田村たかみつのホームページです。(滋賀県栗東市)

上砥山紹介

上砥山紹介

 私の地元である上砥山は、栗東市の中南部に位置し、神秘的な「山の神」神事や大変めずらしいどぶろく祭など市内を代表する民俗行事が残る、長い歴史をもつところです。
 その貴重な民俗行事をご紹介いたします。
 なお、このページは順次充実させていきますので、完成までにはしばらくお時間をください。

  • スポーツの集い
    •  上砥山自治会を構成する上向自治会、下向自治会、川南自治会、中浮気自治会の住民が一堂に会し、毎年スポーツの集いを開催。
       日頃の運動不足と住民同士の親睦をはかる大切なレクリェーションとなっています。

  • 山の神
    • 山の神神事は、五穀豊穣や山仕事の安全などを祈願するもので、山の恵みを活用してきた村々に伝えられてきた神事で、栗東市内でも数箇所残る山の神神事の中でも、上砥山の山の神は最も盛大に行われ、全国的にも注目されています。
       毎年旧暦の1月1日から7日にかけて行われる山の神神事では、雄松の股木から男の神様(オッタイ)が、雌松の股木から女の神様(メッタイ)がつくられ、行事は両神の結婚式に模して行われます。

      • 【山の神の勤行の流れ】
        • 2月4日 午前9時15分(十九道山の林道際)
          • 1本目のご神体用の松を取った後、幹に紙を巻き水引きを結ぶ。
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        • 2月4日 午前9時45分(守山市古高町)
          • かつて十九道山の柴を利用した栗東、守山の町々へ当番人が御幣をつけた樒「花」と山の神の御札を配って回る。

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        • 2月5日 午前9時40分(栗東市荒張・十九道山の林道際)
          • オッタイ、メッタイの松を伐る前、当番人はそろって松の木や山への感謝の祈りを捧げる。
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        • 2月5日 午後2時50分(今井昭一さん宅)
          • 等万人が拵宿(こしらえやど)で雄松を削って「オッタイ」、雌松で「メッタイ」のご神体を作り、池に浸けて柔らかくした藤蔓(ふじづる)で、「もっこ」を作る。
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        • 2月8日 午後3時50分(今井昭一さん宅)
          • 山の神の「嫁入り」前。花婿を表す「オッタイ」のご神体の松の木(左手前)は頭に白の紙、紅白の水引を結んでほほえみ、青竹の徳利や御幣(ごへい)、紅白の餅、玄米、野の幸、山の幸、塩などが拵宿(こしらえやど)の座敷に設けた手編みの筵(むしろ)やシノブダケの簾(すだれ)の祭壇を満たす。上砥山の勤行当番人4人が正装して長老から順に玉串を奉奠、山の神に十九道山の恵み、村の幸い、子孫繁栄を願う。
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        • 2月8日 午後4時40分(小川正男さん宅)
          • 神宿での結婚式。祭壇に据えた「オッタイ」、「メッタイ」のご神体の前で嫁方の拵宿当番人(左)と婿方の神宿当番人(右)が丁重にあいさつし、宮司の注ぐ御神酒で三三九度の盃事をする。
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        • 2月9日 午前0時20分 (栗東市荒張 十九道山治山ダム)
          • 痛いほど冷たい谷水に裸でつかって身を清め、徳利と玄米を7回ずつ洗う。
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        • 2月9日 午前1時35分(小川正男さん宅)
          • 藤蔓の「もっこ」に筵と簾を広げ、オッタイ、メッタイのご神体や水と酒を入れた青竹徳利、炒り玄米などを載せて当番人が2人1組で神宿から西山のご神木、東山のご神木へと出発する。
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        • 2月9日 午前2時10分(栗東市御園・東山)
          • ご神木の根元に筵と簾を延べ、正装の当番人が御幣の前で「オッタイ、メッタイ、ワーイワイ、清九郎さん、お松さん、ワーイワイ」と囃しながらメッタイを手に取ってオッタイと何度もこすり合わせ子孫繁栄を祈る。
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  • 日吉神社 五月例大祭
    •  村の鎮守の神様である「日吉神社」の五月例大祭。
       普段ご本殿にお鎮まりになっておられる神様が、神輿にお乗りになり親しく氏子地域をお渡りになる『神幸祭(渡御祭)』。
       次に、お旅所て゜渡御(お渡り)の時に神様が一時鎮まれる(とどまり、休憩される)『着興祭(ちゃくよさい)』。
       最後に、氏子地域をお渡り後、本殿にお還りになられる『還幸祭(還御祭)』が、毎年五月五日に開かれ、大人神輿と子供神輿が町内を練り歩きます。
       現在の上砥山は、上向、下向、川南の三つの自治会で構成する連合自治会となっていますが、昔はひとつ。当然、氏神様は「日吉神社」であることから、古くから村祭りとして行われています。

  • 日吉神社 献湯祭
    •  日吉神社の「献湯祭」とは、田植えも一段落し、水の大切さと自然の恵みに対する感謝と、五穀豊穣、家内安全、交通安全を祈願する行事です。
       神事の後、お釜に沸かしたお湯に、お酒、塩、米を入れ、そのお湯を笹の葉の束で混ぜ、周りに振りまくというものですが、祭りが終わると、参加したみんなでそのお湯を飲みます。
       また、笹の束は、魔よけだそうですので、みんな一枚ずつ家に持ち帰ります。

  • 日吉神社 濁酒祭り
    •  この濁酒祭りは、滋賀県でも唯一残っているという行事で田植えの無事終了と豊作を願って行われるものです。
       本来お酒は冬に仕込むものですが、それをこの暑い時に作るのですから杜氏さんは大変なご苦労です。
       この濁酒は、まず前年の5月中旬に神饌用田植祭により当番の田が定められ、9月に抜穂式がなされ、玄米2斗が酒造米として保管されます。
       翌年3月下旬には玄米を酒造用白米に仕上げ、4月にしこみがされる。5月下旬(6月1日に一番近い日曜日の午前中)、神酒殿で濁酒の量とアルコール度数の検査を受け、そして神酒として献じられます。量としては約50ℓ、度数は17度〜19度です。
       祭事は、まず神社・野神さんで祭礼が行われた後、神酒(濁酒)が参拝者にふるまわれます。

  • 日吉神社 田楽踊り
    •  日吉神社の祭礼に伝承されてきている太鼓踊は、資料によると古くは、「花の踊り」又は「花踊り」と呼ばれていたが、中世芸能の田楽踊の余風と考えられた為か、昭和初期より現在の「田楽踊」の名でよばれています。しかし、田楽踊はもともと、祭礼の奉納芸能というより、干ばつ時における雨乞いとその御礼踊りとして演じられたようです。明治6年の歌本にはその年が格別の干ばつであったため、氏神に雨乞いの願を掛けたところ、7日目に大雨が降りその御礼に3日間にわたり花の踊りを奉納したと記してあります。
       平安胡以来の古い伝統であるが近世になってから年中行事として旧暦の8月15日の夜に氏子の青年により奉納されていましたが、現在では9月の第1土曜日に行なっています。
       以前は青年団組織で踊りを継いできましたが、昭和49年に田楽踊保存会を組織し、これにより踊りを伝承してきており、昭和38年11月26日に栗東市指定無形民俗文化財、昭和61年3月28日には滋賀県選択無形民俗文化財にそれぞれ指定いただいております。
       田楽踊の特徴として挙げられるものは、?太鼓を腹につけた踊り子が中心になる事。?音頭取りにより、数種の小歌を組み合わせて−曲とした踊り歌が歌われる事。?この音頭取りによって歌われる踊り歌は、大勢の付け歌役によって繰り返される事。?太鼓の踊り子は、音頭取りの歌の間は簡単な地の囃しを打ちつつ踊るが、歌と歌の間に活発に太鼓を打ちつつ、変化に富んだ振りで踊る事。?踊りの口上役として「新発意(しんぽち)」が登場する事等があげられます。
       また太鼓打ちとは別に団扇を持った側踊り(カオドリ/小学生・中学生)が付いている事もあげられます。

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